
自然と調和し、自分らしく生きる——
仕事や子育てに追われる日々の中で、「もっと自然に寄り添った暮らしができたら」と思うことがありました。けれど、便利さに囲まれた生活の中で、その思いはいつの間にか遠ざかっていました。
しかし今、都会を離れ、畑で野菜を育て、鶏たちと過ごしながら、手作りの楽しさを大切にする暮らしをしています。
このページでは、そんな私の歩みとライフスタイルについてご紹介します。
自然とともに過ごす毎日
朝は鶏小屋の掃除から始まり、エサや水の補充、鶏たちの様子をチェック。畑では土を耕し、重い肥料や20キロの鶏のエサ袋を運ぶことも日常です。野菜を育てるにも、天候や害虫と向き合いながら試行錯誤の繰り返し。それでも、手をかけた分だけ野菜が育ち、鶏たちが元気に卵を産んでくれると、何とも言えない充実感があります。



パンやお菓子を焼き、スキンケアを手作りしながら、気がつけば一日があっという間に過ぎていく。便利な生活では味わえなかった「暮らしを自分で作る」感覚。それこそが、今の私にとって一番心地よいことなのかもしれません。
鶏たちの元気な鳴き声を聞きながら朝を迎え、庭で育てた野菜を食卓に並べる。日々の忙しさの中にも、ふとした瞬間に感じる満足感が、この暮らしの何よりの魅力です。
「いつかやってみたい」と思っていたことを、実際に始めるのは勇気がいるもの。でも、小さな一歩を積み重ねることで、新しい暮らしは少しずつ形になっていく。そうして気づいたのは、特別なことをしなくても、日々の小さな積み重ねが豊かさにつながるということです。
シングルマザーとして、海外で築いた暮らし
1997年12月、5歳と3歳の子どもを連れてカナダへ向かいました。若い頃にイギリスやアメリカでの留学経験があり、英語も日常会話程度なら話せましたが、子どもを連れての海外生活はまったく別の挑戦でした。
最初はアメリカの学生ビザを申請しましたが、子ども連れであることを理由に却下。その後、カナダへ申請するも同じ理由で却下されました。
それでも諦めきれず、ビジタービザで渡航し、現地で可能性を模索。子どもたちと新しい環境に順応しながら生活を築いていく中で、ついに学生ビザを取得することができました。
「カナダの自然の中で子どもたちがのびのび育つ環境」を期待していたものの、都市部のデイケアは小さな公園ほどの広さしかありませんでした。とはいえ、英語が話せなかった子どもたちにとっては、大人数の中に入るよりも、小さな環境のほうが安心できたようで、遊びの中で少しずつ馴染んでいきました。そして、気づけば私の発音を直すほどに。
1998年8月、長男はディケアを卒園。



その後、日本にいた頃に自然保育の園に通っていたこともあり、以前から関心を持っていた、郊外のシュタイナー教育のウォルドルフスクールへ通わせることにしました。
広々とした敷地と素晴らしい先生たちに恵まれ、子どもたちはのびのびと過ごしました。
毎日車で30分かけて通学していましたが、より負担を減らすために学校の近くへ引っ越し。それにより、子どもたちがもっとやりたがっていたスケートや野球にも時間を使えるようになりました。
一方で、私自身も英語を学び直し、カレッジでさらに学びを深めながら、子どもたちとともに新しい生活を築いていきました。
異国の地で頼れるのは自分だけ——その責任を強く感じながらも、子どもたちとともに一歩ずつ新しい生活を築いていきました。
6人の子どもたちと過ごした、にぎやかで慌ただしい毎日
スケートが上手になった子どもたちは「ホッケーチームに入りたい」と言い出し、ホッケークラブに入会。そのクラブで知り合ったのが、現在の夫でした。彼には同じ年頃の男の子2人と女の子1人がいて、私の子どもたちと合わせて5人に。
そして子どもがもう一人生まれ、合計子供6人のにぎやかな生活が始まりました。
5人の男の子と1人の女の子——男の子たちはホッケーやサッカー、野球、スノーボード、ラグビーと、常にスポーツに明け暮れていました。食べ盛りの彼らの食欲は驚くほどで、どれだけ作っても、あっという間になくなってしまう毎日。
さらに、お友達もよく遊びに来るので、ある朝、朝食を皆に作ろうと子どもたちの数を数えたら16人!なんてこともありました。
彼の家族や友人もよく訪れ、我が家はいつも賑やかでした。普段から8人分(のちに夫の甥っ子を2年間預かり、9人分)の食事を作っていたので、夕食にお友達が2~3人増えるくらいでは、あまり変わらなく感じるほど。大量に料理を作ることが当たり前になり、キッチンは常に活気にあふれていました。



そんな笑顔と喧騒に包まれた日々は、忙しくも楽しく、気がつけばあっという間に過ぎ去っていました。
やがて子どもたちが独立し、一番下の子も大学進学を機に家を離れた頃、家は驚くほど静かになりました。
振り返ると、目の前のことに夢中で過ごした日々だったように思います。
でも夫婦二人になったその時こそが、私にとって、ずっと心のどこかにあった「田舎暮らし」を始める決意のタイミングだったのです。
オーガニックな暮らしが私にとって大切な理由
私が10歳の時、母が乳がんを患ったことをきっかけに、我が家ではオーガニックな食生活が定着しました。食材を選び、手作りを大切にすることは、いつの間にか私の暮らしの基盤となっていました。
子どもが生まれてからは、できるだけ手作りで、オーガニックの食材を使った食事を心がけるように。長男が幼い頃は、2歳になるまですべて手作りのものを食べさせていました。
しかし、子どもが増えるにつれ、なるべくオーガニックの食材を選びながらも、無理をせず、その時々に合ったやり方で工夫し、「食事を大切にすること」だけは変えずにいました。
そうした積み重ねの中で、食材だけでなく、暮らしそのものを「自分の手で作る」ことへの関心が深まっていきました。
スキンケア用品や洗濯・食器洗い用の石けんなどは自家製のものを使い、発酵食品や保存食を作り、ハーブを育てて自然の恵みを暮らしに取り入れ、キルトやアクセサリーを手作りする。そんなものづくりが、日々の楽しみになっていきました。
そしてそれと同時に、環境問題についても考えるようになりました。今まで普通に使っていた合成洗剤は、界面活性剤が水質汚染の一因となるため、一切使用をやめました。また、ポリエステルなどの合成繊維の服を洗濯すると、繊維の摩耗によって微細なマイクロプラスチックが発生し、それが排水とともに流れ出して川や海に蓄積し、生態系に悪影響を及ぼすことを知りました。そのため、新しく購入する際は天然素材を選ぶようにし、すでに持っているものは、ジャケットなど必要なものに限り使用しながら、使用頻度を下げ、洗濯の回数をできるだけ減らすようにしています。
「自分で暮らしを作る」ということは、素材にこだわりながら、少しずつでも環境に配慮し、無駄を減らしながら、心地よい暮らしを築くこと。ただ、あまり自分に決まりをつけすぎず、柔軟に楽しみながら、自分にできることを取り入れていきたい。そんな暮らし方を続けるうちに、より自然に寄り添った生活を求める気持ちが強まっていきました。
そんな暮らしへの思いは、コロナ禍の外出自粛をきっかけにさらに強くなりました。少しずつ育てる作物を増やし、「何でも家でできる環境」を整えたいという気持ちが大きくなったのです。
そしてついに、人口わずか4,500人の小さな島へ移住しました。
都会を離れ、自然の中で気づいたこと
移住先の島は上下水道や都市ガスはありませんが、井戸から自動で水を汲み、フィルターを通しているので、蛇口をひねれば水も温水も普通に使えます。裏庭には浄化槽もあり、日々の暮らしに大きな違いはありません。島ではプロパンガスを使う人もいますが、うちではコンロもストーブも電気を使っています。
ただ、夏になると井戸が枯れかけることがあり、トラックで運んでくる水を購入することもあります。
最初は戸惑うことも多く、都会では当たり前だったことが、ここではひと手間かかる作業になることに気づかされました。例えば、水の使い方ひとつ取っても、限られた資源をどう大切に使うかを考えるようになったり、季節ごとに畑の手入れの仕方を変えたり。そうした工夫を重ねるうちに、便利さに頼らず、ひとつひとつの手間を受け入れることが、かえって心地よく感じるようになりました。
今では庭で育てた野菜や果物を収穫し、鶏たちの世話をしながら、キッチンで手作りのレシピを試すことが日常になりました。忙しい毎日の中で、時には立ち止まり、自然と向き合う時間を持つことで、気づくことがたくさんあります。
そして時には、愛車のバイクに乗り、島の海や森の匂いを感じながら走ることも。飛び出してくる鹿に気をつけつつ、風を切って走るその時間は、気持ちをリセットし、自分と向き合える大切なひとときになってます。
特別なことをしなくても、日々の小さな積み重ねが、豊かな暮らしへとつながっていく——そんなことを実感する毎日です。何気ない瞬間の中にある穏やかな満足感。それこそが、この暮らしの何よりの魅力なのかもしれません。
