
自分にフォーカスするという言葉の意味
「自分にフォーカスする」。
この言葉の本当の意味を、私は長いあいだ理解できていなかったと思います。
自分を大事にしなければ、まずは自分を愛さなければ、とよく耳にしました。
しかし、子育ての渦中ではその言葉を頭で理解しても、実感することはできませんでした。
六人の子育てと、休む間もない日々
我が家はバツイチ同士が一緒になりました。夫には三人の連れ子が、私には二人の連れ子がいました。
そして息子が生まれ、六人の子どもがいる大家族になりました。
子供たちの学校のお迎え、スポーツの送り迎えなどをはじめ、朝から晩まで次々に起こる出来事に追われ、自分にフォーカスする余裕などありませんでした。
当時の私の標語は、「家の中を手ぶらで歩かない」。
台所からトイレに向かう途中でも、脱ぎ散らかされた服や靴、おもちゃや本を拾いながら歩きます。
片づけているうちに時間があっという間に過ぎてしまい、何のために台所を離れたのか忘れてしまうことも度々。
そして、慌ててトイレに走っていくことも日常茶飯事でした。
子どもが巣立っても消えない「母」の意識
やがて子どもたちは成長し、三男が大学に進んで家を離れました。
けれど、その後も私は「母」という役割を手放すことができませんでした。
ちゃんと食べているだろうか。
夜遅く帰っても大丈夫だっただろうか。
知らせのないのは無事の証拠だと頭ではわかっていても、心はどこかざわついていました。
三十年の子育てを経て、ようやく訪れた変化
長男を産んでから三男が家を出るまで、私は三十年近くを子育てに費やしてきました。
そのため、自分に戻る感覚を忘れていたのも自然なことだったのかもしれません。
それでも、三男の大学在学中の四年間で、少しずつ変化が訪れました。
そして今ようやく、自分にフォーカスするという生き方が始まったのです。
朝のひとときが教えてくれたこと
今の私の朝は、外に出てレモン水をコップ一杯飲むことから始まります。
朝の光を浴び、深呼吸をすると、心がすっと整っていきます。
庭を眺め、空を見上げ、風の匂いや鳥の声に耳を澄ませます。
たった数分でも、自然の中にいる自分を五感でかんじていると、ある種のメディテーションのように心に染みわたっていきます。
この朝のひとときの中で「自分の感性を大事にする」という感覚が確かに芽生えてきました。
この時間は、まさに自分にフォーカスするための大切なひとときです。
自分自身を肯定するということ
自分を見つめなおすということは、自分をもっと深く知るということでもあります。
そして、その中には良いところもあれば、弱さもあります。
けれど、そのすべてが私なので、その自分を肯定し、そのまま受け入れます。
私は、自分が私らしくいることが、一番心地よいと感じています。
ほかの誰かが私をどう思っても、それはその人の感じ方であり、その人の自由です。
だからこそ、それは私が気にする必要のないことなのだと思います。
これは決してわがままでも、自己中心でもありません。
むしろ、長い年月をかけて家族に注いできた愛情を、ようやく自分自身に返してあげているのです。
残る罪悪感と社会のまなざし
とはいえ、まだ完全にできているわけではありません。
社会には「自分を一番にするのはわがまま」という考え方が根強く残っています。
その価値観は、自分の中にも知らず知らずのうちに染みついていて、時々罪悪感を覚えることもあります。
けれど、自分だけが良ければいいという話ではありません。
大切な人を思う気持ちはそのままに、その根っこに自分を置き直しているだけなのです。
自分のために生きるという、新しい生き方へ
誰かのために生きることから、少しずつ自分のために生きることへ。
母であり妻である役割を超えて、一人の人間としての自分を大切にすること。
それが、今ようやく歩み始めた新しい私の生き方なのです。
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