
母の教えと私の選択
残さず食べることと腹八分は、私にとって単なる習慣ではありません。
食べ物を大切にすること。そして健康を守ること。
そのバランスをどう取るか。
それが、母の経験から学んだ生き方です。
母は戦時中、食糧難を経験し、一粒のお米の重みを知っていました。
私は、飽食の時代に生きる中で「腹八分」を意識するようになりました。
母は東京の下町・葛飾で育ち、4人姉妹の長女。
父を早く亡くし、母親とともに妹たちの面倒を見ていました。
戦時中は配給制で、特に東京では食べ物が不足していました。
なので、何度か電車に乗って遠くの農家へ食料を求めに行ったそうです。
しかし、当時は物々交換が禁止され、駅ではお巡りさんが棍棒を持って見張っていました。
そこで、「子供なら見逃されるかもしれない」と、まだ小学生だった長女の母が買い出し役に選ばれました。
命をかけて運んだお米
戦時中、着物は貴重な交換品でした。
祖母は大切な着物を母の体に巻きつけ、「これをお米と交換してきて」と言ったそうです。
母は一人で電車に乗り、田舎の農家を訪れました。
しかし、着物と引き換えに得たお米は、わずか一升(約10合)にも満たない量でした。
母が持って行った着物は、祖母の大好きだったきれいな着物でした。
それなのに、たったこれだけのお米にしかならなかった。母は、悔しさと悲しさでいっぱいだったと語っていました。
それでも、そのお米は家族の命をつなぐ大切な食料でした。
母は、お米が見つかって取り上げられないよう、胸の周りに巻きつけました。
まだ体が細かったため、目立たないようにできたそうです。
駅にはお巡りさんが目を光らせ、買い出し帰りの人々を追いかけていました。
母は子供心に、「このお米は家族が生き残るために必要なかけがえのないもの。私が命懸けで守らなければ」と思ったそうです。
心臓の音が聞こえるほど緊張しながら、人ごみの中に紛れ、必死に走って家へ戻ったと語っていました。
その時の話をする母の表情は今でも忘れられません。
まるで昨日のことのように、当時の光景をありありと語りました。
私は、その話を聞くたびに、自分と同じ年頃の少女が命がけでお米を守りながら走る姿を想像し、胸が締めつけられる思いがしました。
母が教えてくれた、一粒のお米の重み
ようやく手に入れたお米も、白ご飯として食べることはできません。
少しでも長く持たせるため、すいとん(小麦粉を水で練ったお団子を入れた汁物)にわずかに混ぜるくらい。
それに、庭の雑草を加えて汁物を作ったそうです。
その雑草さえ、最後のころは食べつくして、庭には何も生えていなかったといいます。
少しの雑草とお椀の底に見える数粒のお米がはいったすいとん。それをすすって飢えをしのいだといいます。
だからこそ、母は「一粒たりともお茶碗に残してはいけない」 と厳しく教えました。
私は何度もその話を聞いて育ちました。
なので、正座して最後の一粒まで食べることが、母への敬意を表す儀式のように感じていました。

残さず食べることと腹八分の意味
母の話を思い出すたびに、食べ物を残さずいただくということは、命をつなぐ行為だったのだ、と実感します。
戦後の飽食の時代を生きる私たちには、想像もつかないような苦労があったのです。母は一粒のお米の重みを知り、その教えを私たちに伝えようとしたのでした。
食べ物を残さず食べることは、単に食べ物を無駄にしないだけではありません。
食べ物への感謝や、命をいただくことへの敬意 が込められているのだと思います。
特に、戦争を経験した母の世代にとって、食べることは生き延びることだったのです。
「食べ物を粗末にしない」「一粒たりとも残さない」というのは、単なるマナーではありません。
それは、生きることへの誓いのようなものだったのだと思います。
「腹八分」を意識する時代
しかし、最近では「無理して食べることの悪影響」が広く知られるようになりました。
「お腹いっぱいになる前に残せ」という風潮も強まっています。
それは健康のためには理にかなった考え方です。そして、食べ過ぎを防ぐ知恵でもあります。
現代の栄養学では、満腹まで食べることが肥満や生活習慣病につながると指摘されています。
「少し控えめに食べる」ことの大切さが強調されています。
日本の長寿地域である沖縄では、「腹八分目」の考えが根付いています。
これは、単に食べ過ぎを防ぐだけではありません。
食べ物を大切にしつつ、健康を維持するための知恵でもあります。
残さず食べることと腹八分のバランス
「残さず食べること」は、命をいただくことへの感謝が込められた考え方です。
一方で、「腹八分」は、健康を守るための節度を意味します。
母の時代は「食べるものが少なかった」ため、一粒も無駄にできませんでした。
今の時代は「食べるものが多すぎる」ため、適量を意識することが求められています。
しかし、どんな時代であっても、 食べ物を大切にする心 は変わらないはずです。
若い頃は、いくらでも食べられる気がしていました。
お腹がいっぱいになっても「デザートは別腹」と言い、平気でデザートまで食べていました。
満腹こそが満たされた証のように思っていたのです。
けれど、年齢を重ねるにつれ、「腹八分」の意味が分かってきました。
食べすぎると体に負担がかかり、かえって苦しくなることもあります。
ちょうどよいところで箸を置くことが、自分の体を大切にすることにもつながるのだと実感しています。
だから私は、残さず食べることと腹八分のバランス大切にしたいと思います。
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